日記

私は社会のために死にたい


鬱は甘えじゃ無い。これは大前提として、

私の場合はただの甘え、だって仕事に行っているし友達と遊びにも行ける。それなのにひとつも人間として当たり前のことがこなせないのはどうして?


ずっと社会に貢献し続けないと私は生きている価値がないのだ。誰であっても人の過労死なんて呪うべきものだけれど、私は過労で死ねたら本望だと心から思える。

それほど仕事先に限らず私は人に恵まれている。人の役に立てることが嬉しい、

労働は喜び、

健康な人から見たら洗脳らしいことを言っているかもしれないけど、世に認められることはうれしい。私の醜い承認欲求はこんな形でしか満たせない。

惨めだ

 

うまれたときは、産声を上げただけで私の存在を認めて貰えたのに。呼吸をするだけでも今は人並みにこなせないし、うまれたてじゃないから19歳はもっともっと何かしないと認めてもらえない。

 

 

死んだらいけない。結局何かをしなければ社会のお荷物になり、死ねば今までの恩人たちにも迷惑がかかる。私が居なくても代わりが効くのは分かっているけれど、必ず穴は生まれる。

 

今は「なつやすみ」でありますから、仕事をすることに、より時間を割けるし集中もできる。後期の授業が始まったらどうしよう。これにさらに往復4時間の大学生活がまた始まる。

 

耐えられるはずがない!そんなの分かってる!分かっててやってるんだよ。

 

だから、死ぬか死なないかの瀬戸際で働き、ひたすらに働き、いつか仕方ないよね。と納得してもらえるような過労死を望んで今日も赤く生きている