日記

いつだって死にたかったけど今が1番死にたくて死に時だと思った♡車に撥ねられたい!誰にも迷惑かけたくない!電車に飛び込みたい!みんなを救いたい!

 

 大学に入学し、さまざまな分野に手を出した。というのも、特にやりたいことなどなく、決められたレールに則り「それが普通」だと洗脳状態に陥っていた私は、それまでの時間を1日1日生きるのに必死であった。無事入学し、履修を組み、一人暮らしに対しての不安が大きい私は実家から通い、様々なサークルに参加をしようとし、そしてアルバイトも始めた。

今までとは180度違う生活に、初めは胸を躍らせたのであった。ああ、これから幾分かは輝かしい人生が待っているのだ!

 

大学受験という佳境に於いて、少しばかり疎遠になっていた彼氏と会える時間が増えると本気で思った。実際はそう上手くいかなかった。忙しい、忙しさは幸せだなんて人によるだろ。体力がない私と一緒にしないでくれ。私は暇でありたい、寝てたい、寝てたい、寝てたい……

昨日、動画の広告で得た情報であるのだが、どうやら日本の女性は世界で一番睡眠の時間が短いらしい。私はその平均を伸ばす重要な存在であるな。私の睡眠時間が世に貢献する日が来るのか。と少し得意げになった。

 


 休日に彼氏からかかってくる電話、メッセージに対しても億劫になり、返信が出来なくなった。

休日に何処かへ遊びにゆくなど、全くもって不可能であるよ。

ある日、「会わないと冷める」と言われ大いに焦った私は無理をした。取り繕った私はさらに“私”を見失い、素でいることが難しくなり、というか、元々素の私とは元々存在してないように思うのだけれど———

その時反出生主義者がSNSを席巻するにつれて、何を考えても死ぬことにしか辿り着かなくなった。

 


ある日大学に行こうと思ったら、起き上がれなくなった

 


私は再び絶望した。その絶望は、昔に感じたものよりもとても大きく、私を蝕み、沈んでいくような感覚に陥った。このままだと死ぬ。そう思って、絶望した。それでも安心した。ずっと死にたかったから、ようやっと死神様が私を迎えにあがったよ。

 


医大に落ち、浪人している友人、エスカレーター式の高校を留年してる友人は口を揃えてこう私に

「お先真っ暗だよ」

 


私だって、私の前には絶望しかなかった。やっと一つの絶望の壁を乗り越えた先に見えたのはもっと広く暗くじっとりと纏わりつくような絶望だった。これ以上何も見えない、そう言ってもいいだろう。絶望を何度も繰り返してまで生きる意味とは何か。

 


そうして全ての気力を失った私は、ついに食事が喉を通らなくなり、体重があり得ない速度で減っていった。見かねた両親は、邪険に扱うように、しかし確実に私を病院へ連れていった。

「鬱ですね」と言われた時、私は何も感じることができず、親の顔を見て涙を溢した。両親は残念ながらあまり理解がない。当然わかってほしい訳ではないからいいのだ。しかし、あなたの娘として、立派に育ってほしかったはずであろう、自慢できない娘で、俗に言う「子ガチャ失敗」になってしまった訳だ。

私は両親にそこまで厳しく育てられた覚えはないし、間違っているとも思っていない。つまり、完全に私自身の問題であり、両親には何の問題もないのだ。 おしえて

 

 

そして結論から言うと私は彼氏を振った。これは不可抗力だ。「怖い」と返信が返ってきたとき、もうこの人とは一緒にいることはできないとそう感じた。さて、一体何を怖がっていたのかそれが霊障であろうと私の頭がどんどんとおかしくなり付き合いきれないと、見放すように一言「怖い」といったのだろうか。

もうお互い、歩み寄るのことに限界も感じていた。潮時だったのだ。そう言い聞かせて淡々と別れ話を進めたのだが、意外とあっさり彼は私を理解した。